猊鼻渓と明治の文豪田山花袋の紀行文(その6)

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猊鼻渓
を目にした。私は地図を(ひろ)げて、その橋のかかっている川が、何の奇もない平凡な川が、渓流といって も藻などの底に生えている川が、その猊鼻渓のある川の下流であるということを認めた時には、益々 さっきの失望を的確にせずには居られなかった。(こんな川の上流に、天下の名山水があってたまる ものか)というふうな腹立たしさすら感じられて来た。
 「駄目だな、これは」
  こう私は言った。
 「何が?」
  男の児はまた不思議そうにして言った。
 「いや、駄目だって言うんだよ、わざわざやって来ても、失望して帰らなくってはならないって 言うんだよ。」
 「・・・・・・」
  何か言うとして男の子は黙って了った。
  私の眼の前には、やがてさびしい宿駅(しゅくえき)があらわれて来た。二三十年も前でなければ見られないという ような古風な宿駅が。笠に糸立てを着て草履を穿()いた旅客、北上平野から丘陵の中の町や村に運搬し て行くらしい日用品や、乾物類を載せた荷馬車、かと思うと、(すき)や鎌をトンカントンカンつくっている
※宿駅・・・街道の要所で、旅人の宿泊や、荷物運搬の人馬を中継ぎする設備のあった所 ※本文の漢字カナについて