猊鼻渓と明治の文豪田山花袋の紀行文(その3)

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猊鼻渓
 「ふむ、これが北上」
  男の児達は、さもめづらしそうに橋の欄干に(もた)れるようにして眺めた。
  橋を渡って、桑畑や、雑木林の(まば)らに連なっている平野、一の関平野の東の一角を(しば)しほど 行くと、北上川の東に幡居(ばんきょ)した北上山脈の余波が波涛のように連なって行く路が、次第にその低山性 の丘陵の中に入って行くのを見た。
  それは一の関から太平洋沿岸地方に出て行くもので、丘陵の起伏した中を二十里も三十里も小さな駅 や村落で繋いでいるような街道であった。行くにつれて、朝霧は次第に晴れて、暑い日がジリジリと 頭の上から照り付けて来た。
  私達は必死に餓えを感じて来た。村に入る毎に、私達は飲食店をさがして歩いた。しかし遂に一椀の 飯、一杯の茶をも得ることが出来なかった。止むなく、私達は生玉子を買って飲んだ。
  何して私達は、こうした辺鄙(へんぴ)な田舎に入って来たのか。飲食店も何もないような土地に入って来た のか。車も乗合馬車もないような山の中に入って来たのか。低い丘陵性の山ばかりで、冷たい渓流と いう渓流もない山の中へ入って来たのか。それは他ではなかった。獅子ケ鼻(ししがばな)の山水を見たいばかりに わざわざ五里に近い路をこの辺陬(へんすう)に入って来たのであった。
  私達は二里も歩かない中にヘトヘトになって(しま)った。私達は始めは樹の陰を求めて休んだが、後には
※幡居・・・うずくまる。 ※辺陬・・・かた田舎。※本文の漢字カナについて