猊鼻渓と明治の文豪田山花袋の紀行文

猊鼻渓と田山花袋

田山花袋
田山花袋は、1918年大正7年8月12日、数えで48歳の夏 先蔵(16歳)と瑞穂(14歳) の二人の子を伴って猊鼻渓を訪れました。

花袋は紀行文も多く残し『日本名勝地誌』の執筆にも参加していましたが、この旅も紀行文の取材だったようです。
彼の代表作「蒲団」を発表した11年後のこの旅は作家としても脂の乗った時期だったのでしょう。

花袋は大正5年ごろから度々子供を連れて旅行をしていたようで本文に・・・総領の方の男の子は反問した。、、、と、いう文があります。 総領の意味は「長男であり家の跡取り」ですが、今の時代では、使われる事が無くなってしまいました。
還暦を過ぎた私ですら、久しく聞く事のない言葉でしたが、改めてソウリョウという呼び方に息子への期待と想いが垣間見え、 花袋の父親としての優しさを見るようで嬉しくなりました。


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昔の難しい漢字やカナは勝手に常用漢字や現代カナに置き換えましたが、 常用漢字以外の漢字では今も使われているものは、そのままに、あまり使われていないものは、独断で常用漢字に直しました。 仮名は歴史的仮名遣いで書かれているものも私の独断で現代仮名遣いに置き換えましたが、良く判読出来ない文字もありました。
それら御承知於きの上お読み下さい。なので引用の場合は原本の青空文庫のスキャンデータを利用し本文は参考程度に留めてくださいネ。


早朝、一行は一関駅に着き、孤禅寺、相川、長坂のルートを徒歩で猊鼻渓に入りました。
その平凡な道すがらの風景を進むにつれて花袋の期待の度合いが徐々に半減、更には来るべきでは無かったと落胆の様子が描かれて行きます。
しかし舟に乗り渓谷に入ると一変、「ホウ―」と驚きの声を上げます。
そそり立つ奇岩、岩に張り付く松、静かな水面、花袋にとっては意外だった様子で、
「その景色は奥深く静かで別天地な処」と充分満足だったようです。
また、紀行作家らしく他の渓谷と比較しています。
「この渓谷は紀州の瀞八丁に一番近いがその深山の気象には及ばない」と、しかし山の浅い、 ありふれている渓であっても岩の雄大な姿、岩と岩のコントラストは他になくその独特の景観はこの渓だけだと結んでいます。

それを裏付けるように、1927年昭和2年に猊鼻渓は日本百景に入選となりました。
因みに、日本新八景、日本百景の現地派遣審査を委嘱された一人が花袋です。

猊鼻渓を後に一行は平泉(?)厳美渓を経て栗駒山の須川温泉に宿泊 8/18日には日本海側の温海温泉に到着しています。
この旅は東北地方の南半分を横断し新潟県を一回りする大旅行だったようです。


日本百景入選地(1927年) 渓谷部門(14箇所)
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