猊鼻渓と明治の文豪田山花袋の紀行文(その13)

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猊鼻渓
は出来ない。しかし、そうした山の浅い、渓の卑近な弱点があるにしても、岩石の雄大奇峭(きしょう)、またその 岩石が相持ち相伴って一種のめづらしいすぐれたシーンを成している形は、かれ決してこれの敵で はないのは確かであった。それに、ロマンチックなお伽噺の中のシーンのような感じは、この渓の独特で 決して他にその類を求めることが出来ないのを私は思った。
  右岸に大きな洞窟があって、それから、渓は更に深く深く、驚くべき大きな奇岩を聳立(しょうりつ)せしめていた。
 「大きな岩だね。」
  こう言って、私は仰ぐばかりにしてそれを見上げた。
 「これは壯夫岩(そうふいわ)と言うのです。」
  こう船頭は説明した。
  舟は静かに、(ゆる)やかに、巨岩の根元を巡って(めぐ)って進んだ。
渓が一ところ浅い瀬を成しているところでは、村の童達が、皆な裸になって、(しき)りに水泳をやっていた。
 「あそこらは浅いんだね・・。」
 「えゝ。」
私はまた、岸に苓省を置いて、(しき)りに釣竿を垂れているものゝあるのに目をやって
※奇峭・・・険しくそびえ立っている ※聳立・・・そびえる ※本文の漢字カナについて