猊鼻渓と明治の文豪田山花袋の紀行文(その9)

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猊鼻渓
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 「大丈夫」
  こう言って元気よく起き上がった。弟の方は「あゝ好い心持に寝た!すっかり元気が恢復(かいふく)した」こう 言って、手を伸ばしたり縮めたりして見せた。
  私達はそろって出掛けた。
  若い船頭は黙って私達の前を歩いた。草履を穿()いているので、歩くたびに、ぺたぺたと白い埃が(けむり)の ようにあがった。あたりは何となく午後の涼しい山気に満たされて、さっき来た時とは、山の影も濃かに、 姿もなだらかに、平凡だと言うっても、流石は山の中だという気がした。斜めにさしわたった四時過の日影 も、深い静かな影の多い気分をあたりに(ひろ)げた。
  駅を外れると、さっきの川が折れ曲がっている。そこに土手がある。猊鼻渓へ三町という木標が 立っている。船頭がちょっとその傍にある自宅に立ち寄って来る間、私達はその土手の上で、待っていたが、 やがて長い竿を持って来た船頭は、また私達の前に立った。次第に私達は渓の入口へと向かって 進んだ。
  二町ほど行くと、そこには材木会社の挽材(ひきざい)置場があって、路という路もないほどに木材が一杯に置いて あった。それをあっちに越え、此方に越えて、(ようや)く私達は船の繋いであるところへと行った。
  失望か、それとも思いもかけない驚愕か。今、その二つの前に私達は立っているのである。兎に角
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