猊鼻渓と明治の文豪田山花袋の紀行文(その12)

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猊鼻渓
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ではないが、一人でとてもさびしくって入って来られないような渓谷を私はそこに発見した。
  私は考えた。丁度、その渓は、平凡な才能しか持たない芸術家が、ある時、ある機会に触れて、一生 に唯一すぐれた大作を公にしたようなものだ、と。そしてすぐれた一つの作の他は、何の色彩も、何 の技巧も示すことが出来ずに、平々凡々に終わって了った芸術家のようなものだ、と。実際、平凡なこの 砂鉄川に()うしてこうした山水のすぐれたシーンのあるのを想像することが出来るのであろうか。こんな ことを思っている中にも、舟は静かに渓潭(けいたん)の上を滑って、次第に深く奥深く入って行った。
     四
  私はこの渓谷をこれまでに見た山水に比較して考えて見た。甲斐の御嶽でもない。秩父の長瀞(ながとろ)でもない。 耶馬渓(やばけい)でもない。木曽谷でもない。また土岐川の渓谷でもない。蓑川の谷でもない。その類似を求め れば何しても、紀州の瀞八町に近いと言わなければならない。渓の一時(たた)えて潭を成している形も 似ている。又ある場所だけ特に奇なるシーンを呈しているさまも似ている。舟を()して始めて見ること を得るさまも似ている。しかしこれを以ってかれに比するに、自ら一長一短がないわけには行かない。 この谷には、とても瀞八町の持ったような深山の気象は求めることが出来ない。またその玲龍透徹した 深碧な水を求めることが出来ない。人の毛髪をして悚然(しょうぜん)として立たしめるよう凄絶な気分を求めること
※艤・・・船出の用意をする ※本文の漢字カナについて
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